人事経済学を専門とし、経営課題解決のための人事データ活用を提唱する大湾氏。
働き方に関する政策が変わり、企業のあり方が変わっていく時代に、
最前線の現場で人事部はどう対応していくべきなのか。
大湾氏が手がけた研究ではどんな成果が得られているのか。
これからの経営者に求められる能力と企業の成長に欠かせない人材データの活用法を、
AIを活用する際の注意点とともに教示いただく。
近年取りざたされる『VUCA(ブーカ)』という言葉。Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)が高まる現代の経営環境を表わすキーワードだ。デジタル社会の進展に伴い、今後必要となる経営能力は変わってくると大湾氏は指摘する。
「不確実性や複雑性が低い世の中では、現状の延長線上で改善活動をしていれば良かった。ところが複数均衡・複数解が出てくる経済モデルでは、改善努力だけでは局所解にたどり着くだけで競争力を失う。どこに最適解があるのか、未来洞察や探索の能力が非常に重要になります」
さらに、プラットフォームなどの新しい事業モデルへの理解が正しくなされていないことに疑問を呈する。プラットフォームはネットワーク外部性があり、利用者のネットワークの大きさが企業やサービスの価値を決める。
「多面性のある顧客層を抱えた先行者利益が大きく、補完的なサービスを作ることで占有性を高めることができる。自社内でどういったビジネスにプラットフォーム化が狙えるかを考える視点が必要です」
そんなVUCA時代の経営者に求められるのは、ダイバーシティや異文化への理解。そしてさまざまな雇用形態やキャリアパスを社内に用意することだ。
デジタル化社会の中で事業特性も変化している。今後ますます、航空会社や原子力発電所のような『ガーディアン事業』から、ソフトウェア開発のような『スター事業』の割合が増えてくことになる。
「リスクを取って新しいことを手がけるスター事業ではフラットな組織が求められ、多様な人材を採用する。失敗を許し、成功に大きな報酬を支払うボーナス型が最適となる。一方ガーディアン事業では、間違いを最小限にする堅実な人材が求められる。日本企業に多い『間違いのない人事』となり、階層的な組織で報酬はペナルティ型が最適となる」
日本では人事部が採用の大きな権限を持っている。それゆえに、できるだけ堅実な人物を選ぶ傾向があるのだという。
特に階層的に行われる採用プロセスにおいて、1次、2次、…と毎回1-2人で意思決定をすると、尖った人材ほど誰かに嫌われ、堅実で画一的な人材だけが最後に残りがちだ。さらに、ベンダーが提供した適正検査で足切りを行うことの弊害もある。
「その適性検査で高得点が取れる人は多くの企業から面接に呼ばれ、取れなければ呼ばれないという統計的な差別を生む。しかも内定が一部の人に集中するから辞退も増える。調査では最終的な内定者に対する適性検査の予測力は低く、自社にとってどういう能力が必要かを吟味しカスタマイズした尺度を使う必要がある」
人材育成についても、深刻な問題が横たわる。
日本企業では課長の昇進時期が高齢化し、若年層のビジネススキルやリーダーシップスキル習得機会が奪われている。若い頃から管理職として海外経験を積んだ人材と、そうでない人材とでは経験に雲泥の差ができてしまう。
こういった時代には強力なリーダーシップが不可欠であり、経営者マインドを持つ社員の育成が鍵となってくるにも関わらずだ。
「海外の現地法人で優秀な人材を採用して育てても、日本企業ではなかなか昇進できず、できても現地法人の社長止まり。日本企業のグラスシーリング(ガラスの天井)が、優秀な人材を採用できない・定着しないという問題になっている」
そういった問題に対し、近年では将来のリーダー層を早めに特定し、対象者に向けた選抜型の研修を始める企業もあるという。
「リーダー不足に悩んでいる企業では選抜型研修が増えている。会社の成長が早く人材難のIT産業では、自分で学べる人材を求めて自己研鑽型の研修に取り組んでいます」
研修の効果測定では、興味深いデータがある。
あるインドのIT企業におけるエンジニア向け研修の効果を検証したところ、勤続年数が長い社員に対する一般的な研修と、事業ドメインの知識を与える研修の効果が高かった。人的資本理論に基づくと、若年層社員への研修のリターンが高いと考えがちだが、実際には中堅社員や管理職層への研修も効果が高かったのだ。
「人事におけるデータ分析に必要なものは3つ。1つめは統計学や統計ツールを使えること。2つめは出てきた結果を解釈する力。これは経済学・経営学分野のフレームワークを用います。3つめに、自社の人事制度や課題に対する理解。データ分析にあたる人は、全社的な視点で問題意識を持つことが大事です。会社の理想と現実のギャップを見つけ、どこに問題があるか。問題を可視化するためにデータを集めてくるのです」
人事データの活用領域としては、パフォーマンス予測や離職分析などへの注目が高いが、大湾氏はより効果的で探索されるべきは他にあるという。
「職場改善すべき箇所を決定するための利用と、そして実際に変更の施策を行った時の効果を調べるための利用。企業や職種によって必要な人材や必要な施策は違う。外部ベンダーに頼るのではなく社内でデータを分析できる人材を育て、社内の課題に対して社内事情をわかった人間がデータ分析するのが大事です」
最初はExcelやTableauなどを使って視覚化する。そして人事施策の設計や制度変更などの際には、有効性を図ることを念頭に置いて事前設計をする。有効性をどう検証するのかを前もって専門家に相談して設計しておかないと、事後ではデータが十分でないこともあるという。
ただし大湾氏は、データ活用のリスクについても強調する。扱い方によっては、統計的差別を生む可能性があるからだ。
「適切なトレーニングや機会を与えられれば伸びた可能性がある人材なのに、機会を与えられなければ差別になる。個人の尊厳・原理との衝突やプライバシー配慮義務も生じる。また、健康上の問題を抱えていると知っていて会社が何もしないと、将来的に安全配慮義務を怠ったと訴えられる可能性もある。そういったリスクを抱えながら進めていく必要があるのです」
2つの定数に因果関係があるのか、相関関係なのか。踏み込んでデータを理解するためには、さまざまな誘因を制御した上で関係性を見ることが重要になる。さらには統計学の手法を用いて因果関係を突き止め、確認しながら前に進んでいくことになる。
ある企業の事例では、人事アセスメント結果を分析し、業績と有意な関連を持っている項目を発見した。例えば規範遵守傾向がある人はハイパフォーマーになりにくい、問題解決能力を持っている人はハイパフォーマーになりやすい、というように。
採用の際は、同社におけるハイパフォーマーの資質がある人材を積極的に選べば良い。認知能力・非認知能力といった『変えられないもの』を、採用の段階で考慮することができるのだ。
反対に、『変えられるもの』の活用例もある。
あるビジネスサービス会社では、データ分析により『良いリーダーの条件』を導き出した。計画性や顧客や部下との密なコミュニケーションといった、優れたリーダーが共通して持つ要素がわかれば、他の社員に研修で伝えることが可能になる。
「分析で得られた結果を研修や評価、採用にフィードバックすることが、データ活用の大きな目的。ただし、データの活用はできるだけ職場の改善・施策の改善のために使うことです。個人に紐付けすると一人ひとりの推計値は大きな誤差を生み、誤差を含むもので意思決定をすると本人も納得できず、会社も間違いを起こす」
社員のためという原則を守らないと社員の協力は得られないと、大湾氏は強調する。従業員満足度調査や360度評価は貴重な情報だが、社員が正直に書くことが前提となるからだ。労使関係が良好で社員のために施策を行う会社であれば社員は正直に書くが、社員が不信感を持っていると、正直に書かずにデータの質が悪化するのだ。
「データは人事施策の多様性のために使う。自分の会社にとって貢献できる社員を採用するため、独自に複数の尺度を作りいろいろなタイプのハイパフォーマーに合わせた尺度で採用に使っていくのです」
そしてなによりも大切なのは、データが示した結果を経営陣が咀嚼して解釈し、納得して使うこと。AIではなく、必ず人の責任として社員に説明することだ。
「自分が納得していないデータを使ってはいけない」。大湾氏はそう強調して講演を締めくくった。