近年では、人材を投資と捉える人的資本の考え方に注目が集まっています。自社の人的資本を社内外にアピールするための方法が人的資本開示です。人的資本を効率的に開示するためには、ガイドラインを活用することも1つの選択肢といえるでしょう。
本記事では、人的資本開示とはどのようなものなのか、また注目される背景や、人的資本開示のガイドラインについて解説します。あわせて人的資本開示に役立つ下記の情報も紹介しているため、企業の人事担当者はぜひ参考にしてください。
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人的資本開示の概要
そもそも人的資本開示とはどのような意味なのでしょうか。まずは、人的資本や人的資本開示の概要を解説します。
人的資本とは
人的資本とは、企業の人材や、人材が持つ能力やスキル、知識などを企業の資本であると捉える考え方です。近年では、企業成長には有形資産だけでなく、人的資本のような無形資産が必要であるという考え方が広まりつつあります。企業の成長に加え、新しい価値を創造するために、人材投資に力を入れるべきであると考える企業も増えているようです。
人的資本開示とは
人的資本開示とは、企業の人的資本に関する情報を、ステークホルダーや社内に向けて公表することを指します。たとえば、自社ではどのような方針で社員育成に取り組んでいるのか、施策を行ったことによる具体的な成果はどのようなものか、などです。日本においては、大企業など一部の企業で、すでに人的資本開示が義務付けられました。
人的資本開示の必要性
人的資本開示が重要視されるようになった背景には、以下の3つの出来事が関係しています。それぞれ詳しく見ていきましょう。
無形資産の価値の高まり
近年のビジネスにおける技術革新によって、人的資本やビジネスモデルをはじめとする、無形資産の価値が高まりつつあります。従来は、企業の価値は有形資産で判断できるとされていたため、企業の財務情報を確認することが投資先を決めるスタンダードな方法でした。
しかし、近年では財務情報だけでなく、人的資本も企業価値を決める大きな要因であるとの考え方が広まっています。人的資本を社内外にアピールするための手段として有効なのが、人的資本開示です。投資家が投資先を選定する際にも、人的資本が重要視されるようになってきています。
ESG投資への関心
ESG投資とは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の3つの視点から投資先を決定する、投資方法の1つです。人的資本の考え方は、ESGのうち社会(Social)の要素に該当します。
ESG投資が始まったのは、企業が自社の利益ばかりを追求した結果、社会や環境に不利益をもたらしているという現状があったためです。ESG投資によって、環境や社員に配慮した経営を行う企業の価値が見直されたことから、人的資本開示の必要性も高まっています。
米国・欧州での義務化
日本に先駆け、欧米諸国ではすでに人的資本開示が義務化されています。欧州では2014年に社会・社員を含む情報の開示が義務化されました。米国では、2020年11月より、上場企業の人的資本開示の義務化が、米国証券取引委員会によって決定されています。
※参考:経済産業省|事務局説明資料
人的資本経営・人的資源との違い
人的資本開示に似た言葉として、人的資本経営や人的資源があります。それぞれの内容と、人的資本開示との違いを見ていきましょう。
人的資本経営との違い
人的資本経営とは、企業が人材に投資することで企業成長につなげる経営手法のことです。一方で、人的資本開示とは、人的資本に関する取り組み内容や実績を社内外に公表することを指します。
人的資本経営を行う企業が、人材育成などの取り組みについて開示するものが人的資本開示です。そのため、人的資本開示は、人的資本経営を行っている必要があるといえます。
人的資源との違い
人的資源とは、企業の人材はコストであるという考え方を指します。従来は人的資源の考え方が主流であり、資源は消費するもの、かつ消費するごとにコストが発生するものであると認識されていました。一方で、人材を企業の資本とし、投資することによって最大限活用できるものと考えるのが人的資本です。
人的資本開示の義務化の流れ
日本では、一定の条件を満たす企業における、人的資本開示の義務化が2023年3月期決算から始まっています。国内における人的資本開示の義務化に至るまでの流れを解説します。
※参考:金融庁|企業内容等の開示に関する内閣府令等改正の解説
2020年「人材版伊藤レポート」
2020年9月、経済産業省によって「人材版伊藤レポート」が公表されました。人材版伊藤レポートでは、経営戦略と人材戦略の連動をどのように実践するかについて、具体的なアイデアが紹介されています。人材版伊藤レポートは、日本における人的資本経営推進の火付け役ともいわれており、人的資本の重要性を示したものです。
※参考:経済産業省|持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会報告書~人材版伊藤レポート~(概要)
※参考:経済産業省|人的資本経営の実現に向けた検討会報告書~ 人材版伊藤レポート2.0~
2022年「ディスクロージャーワーキング・グループ公表」
2022年6月、「金融審議会 ディスクロージャーワーキング・グループ報告-中長期的な企業価値向上につながる資本市場の構築に向けて-」という資料が金融庁によって公表されました。
同資料は、金融庁の金融審議会であるディスクロージャーワーキング・グループが、企業情報の開示について審議した結果をまとめたものです。企業におけるサスティナビリティの取り組み開示の方針を示しています。
※参考:金融庁|金融審議会ディスクロージャーワーキング・グループ報告
※参考:金融庁|金融審議会「ディスクロージャーワーキング・グループ」報告の公表について
2022年「人的資本可視化指針」
2022年の2月から6月にかけて、内閣官房による「非財務情報可視化研究会」が開催されました。同研究会では人的資本で考慮すべき指標や目標の設定方法などが議論され、議論の内容が「人的資本可視化指針」にまとめられています。「人的資本可視化指針」は、2022年8月に公表されました。
2023年「企業内容等の開示に関する内閣府令等」
2023年1月、「企業内容等の開示に関する内閣府令等」が改正されました。改正された内容は、有価証券報告書等での人的資本情報の開示が、条件を満たす企業に対して義務付けられたというものです。開示情報には必須項目が定められており、たとえば、男女間の賃金格差、育児休業取得率、女性管理職の比率などが挙げられます。
※参考:金融庁|企業内容等の開示に関する内閣府令等改正の解説
人的資本開示で求められること
企業価値をアピールする場所でもある人的資本開示において、ステークホルダーが何を求めているかを考えることは重要です。ステークホルダーが確認したいと考えている以下の内容について、開示を行うよう努めましょう。
・企業の経営戦略と人的資本への投資の関連性を論理的に説明すること
・ガバナンス、戦略、リスク管理、指標・目標の4つで構成されるサステナビリティ方針
・企業独自の戦略やビジネスモデルに関する取り組み、指標・目標、開示項目 など
人的資本開示のガイドライン
人的資本開示の際に活用したい資料が、国際的なガイドライン「ISO30414」です。ISO30414の概要と役割について、詳しく解説します。
「ISO30414」とは
ISO30414とは、人的資本や人的資本開示に関する国際的なガイドラインのことです。ISO30414は、スイスの非政府機関である国際標準化機構(ISO)が定めており、人材マネジメントの11領域58の測定基準が記されています。ISO30414は、企業が社内外へ人的資本について開示することで、企業の持続的成長を推進しようとするものです。
※参考:経済産業省|第3回 非財務情報の開示指針研究会事務局資料
ISO30414の役割
ISO30414は、企業がステークホルダーに人材資本開示を行うことを促すことで、企業が持続的な成長や価値向上を目指せる状態を目的としています。ISO30414の基準によって自社の状況を定量的に表せるようになり、人的資本を客観的に把握できるようになりました。また、投資家が投資先の判断を効率的に行うための資料としても役立っています。
「ISO30414」の11領域・58指標
「ISO30414」で示されている11領域・58指標の内容は、どのようになっているのでしょうか。それぞれ詳しく見ていきましょう。
法令遵守(コンプライアンス)と倫理
「法令遵守(コンプライアンス)と倫理」は、企業への苦情や懲戒処分を受けた数などを開示するものです。コンプライアンスや倫理に関する研修を受けた社員の割合も含まれます。その他、外部に解決を依頼した内部紛争の数や、外部監査で指摘を受けた事項の数と種類も指標の1つです。それぞれ、企業の対応もあわせて記載することになっています。
コスト
「コスト」では、人件費や採用にかかるコストや、社員の平均報酬などを開示するよう定められています。人件費には、総労働力や外部労働力のコスト、特定職の全体コストにおける報酬割合、総雇用コストなど、細かく提示する必要があるのが特徴です。また、1人あたりの採用コストや離職にともなうコストなども、開示内容に含まれます。
ダイバーシティ(多様性)
「ダイバーシティ(多様性)」では、年齢・性別・障がいの有無に関わらず、差別がないかを公表するための指標です。上記以外にも、社員の国籍や勤続年数、経営層における男女比、年齢、障害の有無なども含まれます。
リーダーシップ
「リーダーシップ」は、企業や社員によるリーダーへの信頼度を測定するものです。管理職1人あたりの部下数や、リーダーを育成する環境を整えているかを測る、リーダーシップ開発も含まれます。
組織文化・風土
「組織文化・風土」では、社員のエンゲージメントやコミットメント、仕事への満足度などの開示が推奨されています。社員の定着率も指標の1つです。エンゲージメントとは愛社精神のことを指し、コミットメントは責任と訳されます。
健康・安全・福祉
「健康・安全・福祉」は、労働災害に関する項目を中心としています。たとえば、労働災害の発生件数や労働災害によって失われた時間、労働災害による死亡者数や死亡率などです。また、健康や安全に関する研究の受講割合も開示内容に含まれ、社員が健康や安全への知識を身に付けられているかどうかを測ります。
生産性
「生産性」には、社員1人あたりのEBIT・売上・利益と、人的資本ROIが含まれます。EBITは「Earnings Before Interest and Taxes」の略で、利払前・税引前の利益のことです。また、人的資本ROIとは、人的資本への投資額から得られたリターンの割合を意味し、投資の効率を見極めるための指標となります。
採用・異動・離職
「採用・異動・離職」は、採用過程や人材育成、重要ポストの登用などに関する項目です。採用にかかる平均日数や社内異動による人材の流動性、将来必要な人材の育成方針などが含まれます。また、離職率や離職理由、重要ポストの空席率なども開示内容とされ、全部で15の指標
を持つ領域です。
スキルと能力
「スキルと能力」は、人材育成に関する項目です。社員への投資額や、研修に参加した社員の割合、社員1人あたりの研修受講時間などを示すことで、適切に教育機会を与えているかを測る指標といえます。また、高いパフォーマンスを発揮する行動特性を測るコンピテンシーレートも、考慮される指標の1つです。
後継者の育成
「後継者の育成」では、重要ポストの内部登用の割合から、企業内の人材育成の状況を確認する内部継承率や、後継者候補の割合を測る準備率などが含まれます。また、即時に登用できる後継者の有無、後継者を計画的に育成できているかを測る継承準備度なども重視されます。
労働力の可用性
「労働力の可用性」とは、企業の労働力確保の状況を示す項目です。フルタイムとパートタイムに分けて算出する総労働者数や、全労働者をフルタイムとして考えた場合に、何人分に相当するかを測る指標も含まれています。その他、臨時の労働力や欠勤率なども開示内容です。
「人的資本可視化指針」の7分野・19項目
2018年に「ISO30414」が公表されたのち、2022年には日本政府による「人的資本可視化指針」が発表されました。「人的資本可視化指針」では、人的資本開示において開示することが望ましいとされる、7分野・19項目を定めています。
人材育成
人的資本開示において必須の開示項目とされているものの1つが、人材育成分野です。人材育成には、「リーダーシップ」「育成」「スキル」の3項目が含まれます。たとえば、社員1人あたりにかける教育や研修の費用、時間、種類などです。
また、人材定着を促進するための取り組みなども含まれます。人材を重視する人的資本経営において、社員への投資は企業の価値向上に大きな役割を持つといえるでしょう。
エンゲージメント
エンゲージメントとは、業務内容や職場環境、待遇における社員の満足度を測定する分野です。項目は「エンゲージメント」の1つとなっています。社員の満足度を数値化するための1つの方法として採用されているのが、ストレスチェックです。また、企業がエンゲージメント向上につながる施策の頻度も開示内容に含まれます。
流動性
流動性とは、人材の入れ替わりのことです。流動性分野の項目は「採用」「維持」「サクセッション」の3つがあります。サクセッションとは、重要ポストの後継者管理のことを指し、人材を適切に育成できているかなどを示すための項目です。離職率を下げるための取り組みなども、流動性分野の1つとされています。
ダイバーシティ(多様性)
ダイバーシティとは社員の多様性を意味し、人材育成と同様に必須の開示項目となっています。ダイバーシティ分野に含まれる項目は、「ダイバーシティ」「非差別」「育児休業」の3つです。たとえば、性別による賃金格差や育児休業取得数の違い、労働者や経営層の比率の違いなどが挙げられます。
健康・安全
健康・安全は、主に労働災害や社員の安全に関する項目です。健康・安全分野には、「精神的健康」「身体的健康」「安全」の3項目があります。ストレスの少ない職場環境を整えているか、健康を損なう働き方を強要していないかなどを、数値化することが必要です。また、安全衛生マネジメントシステム導入の有無も開示します。
労働慣行
労働慣行とは、雇用する企業と労働者が対等な関係を維持できているかを表す指標です。労働慣行分野には、「労働慣行」「児童労働と強制労働」「賃金の公正性」「福利厚生」「組合との関係」の5つが含まれています。賃金が適切に設定されているか、福利厚生を利用できる環境が整っているかなどについての開示が必要です。
コンプライアンス(法令遵守)・倫理
コンプライアンス・倫理は、企業が法律を遵守して活動を行っているか、社会的な規範に基づいて経営を行っているかが問われる項目です。項目は「コンプライアンス(法令遵守)・倫理」の1つで、業務停止や苦情の件数、社内ハラスメント調査の結果、差別事例の件数などが含まれます。また、コンプライアンスや倫理に関する研修を受けた社員の割合も開示内容です。
人的資本開示の手順
次に、人的資本開示を行う際の手順を3つに分けて解説します。
1.人的資本開示の準備
まずは、人的資本開示に向けて自社の基盤と体制を確立し、開示に向けた可視化戦略を構築しましょう。次に、投資家との対話を通して、人材戦略の見直しと効率的な可視化に向けた準備を行います。戦略を検討するにあたっては、前述した「人材版伊藤レポート」「人材版伊藤レポート2.0」が役立つでしょう。
2.有価証券報告書における開示
人的資本開示が義務付けられている企業においては、有価証券報告書の記載欄に情報を載せることが定められています。まず、有価証券報告書のサステナビリティ情報記載欄に、「人材育成方針」と「社内環境整備方針」の2項目を記載しましょう。次に、従業員の状況欄に「男女間賃金格差」「女性管理職比率」「男性育児休業取得率」の3項目を記載します。
3.戦略的に任意開示を活用する
人的資本開示では、有価証券報告書に記載する以外にも、事業報告書やWebサイトなどで任意開示をすることが可能です。人的資本開示が可能な媒体は、他にもコーポレートガバナンス報告書やサステナビリティレポート、中期経営計画などがあります。経営戦略に則した方法で情報開示を行うことで、投資家はもちろん、求職者や顧客、自社の社員へのアピールにもつながるでしょう。
人的資本に力を入れている事例
最後に、人的資本開示に力を入れている企業の事例を紹介します。
株式会社ニチレイ
株式会社ニチレイは、36のグループ会社全体の社員を管理・分析・活用するために、人材情報を管理できるシステム「タレントパレット」を導入しました。システム導入により、グループ会社を横断して社内公募ができるようになり、社員のキャリアプラン支援やリスキリング、離職防止につなげることができています。
また、女性活躍推進と次世代人材育成のため、人材を可視化できるダッシュボードを構築しました。システム内で利用できる無料のTPI適正検査を全社員に実施できたことで、企業文化の浸透性と多様性の重みを実感できたそうです。
豊通ケミプラス株式会社
豊通ケミプラス株式会社では、人材採用にも「タレントパレット」を活用し、人事担当者や配属先の上司が人材を確認しやすくなる体制を構築しました。システムの導入によって、人材のミスマッチを防ぐとともに、評価シートを活用した目標管理(MBO)による人事考課を実施することで、データに基づいた客観的な評価ができるようになったことも成果の1つです。
また、コロナ禍の運動不足解消のための施策「ウェルビーイングチャレンジ」では、拠点をまたいで社員同士が交流する機会を得られました。
まとめ
人的資本開示は、欧米諸国だけでなく、日本国内でも一部の企業で義務化が進んでいます。人的資本開示を行い、ステークホルダーに自社の魅力をアピールすることで、資金調達がしやすくなったり、持続的に企業価値を高めたりすることが可能となるでしょう。
人的資本開示に関わるデータを集約し、可視化する際は、人材マネジメントシステムを導入するのも1つの方法です。タレントパレットは、 ISO30414はもちろん、自社基準にも対応しているためスムーズな情報共有と開示が行えます。興味のある人は、ぜひ下記のリンクもチェックしてみてください。