第1部 基調講演:マーケットデザインによる希望をかなえる配属
野田俊也氏(東京大学大学院経済学研究科 講師 / 東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)プロジェクトマネージャー )
経済学の一領域であるマーケットデザインとは、まず目標となる望ましい結果(資源配分)を定め、逆算してそれを達成する制度や市場を設計するというものだ。
野田氏は、人事領域にマーケットデザインを活用した「マーケットデザインによる希望をかなえる配属」について一例を紹介しした。達成したい結果は、会社(人事)側、社員側で以下のようになっている。
・会社(人事)側の事情
経営戦略を意識した適材適所の人材配置を行い、全社的に利益を上げていきたい
・社員側の事情
自身のキャリア形成を意識し、『配属ガチャ』を避けて、自分の望むキャリアを磨いていきたい
「マーケットデザインを活用した最適な配属の前提となるのは、社員と部署の希望情報の可視化です。社員はどの部署に行きたいのか、部署は誰を取りたいのか。説明のために単純化した形で考えてみます。条件は以下のようになります」
野田氏は、すべての配属希望を尊重する配属決定は困難である、という事実について解説した。
「人事配属の制度とは、『希望情報や技能や年次などの社員の属性を基に、どの社員をどの部署に配属するか』を考えるものです。ここで重要なのは、異動の希望情報を社員から聴取するということ。しかし、配属のルール設計によっては、社員が本当に希望する配属先を申告しない可能性があります」
例えば、就職活動で学生はどの会社にも「御社が第一志望です」と言う。このせいで、会社はこの発言から学生の入社意思を測ることができない。学生が「実際のところ、御社は第三志望ぐらいです」というように本当の希望情報を伝えないのは、学生の責任ではなく、そのほうが学生にとって得になってしまう社会の構造としての「就活のルール」に問題があるからだ。
「人材配置の問題で言えば、社員から本当の希望情報を聞きたければ、会社が正直に申告したほうが得になる人材配置のルールを設計するべきということです」
「実は、人事の現場で運用されているルールの多くはこの性質を満たしていません」と語った野田氏がまず説明したのは、「なるべく多くの人を希望通りの部署に配属させる」というルール。常識的な発想のように思うが、定員があるため、すべての希望を叶えることはできない。すると社員は「この部署にしか絶対に行きたくないと申告すれば、行きたいところに行けるのでは」と考えるようになる。
「第二希望、第三希望として、ある程度満足できる部署があったとしても、第一希望に行ける確率が下がる恐れから、それを言わなくなってしまいます。すると、より多くの希望をかなえられるマッチングから離れてしまう危険性があります」
次に「第一希望をなるべく優先させる」というルールを紹介した。この方式は、過去、ボストンの学校選択制で採用されたことから、「ボストン方式」とも呼ばれる。その中身は多くの企業で一般的に行なわれている配属の方法だ。
社員が第一希望の部署に応募。部署は応募した中で最も良い社員の配属を決める。配属から漏れた社員は、第二希望の部署に応募。受け入れる枠が残っている部署は、応募した中で最も良い社員の配属を決める。これを繰り返していく。
「第一希望を優先するルールは至るところで使われていますが、あまり望ましくありません。社員にうその『第一希望』を申告するインセンティブが出てしまい、正直な希望情報が取れないからです。先ほどの例で部署からあまり好まれていない社員Zが正直に希望を申告すると、希望する部署AやBの選抜では社員XやYに負けてしまい、第三希望である部署Cに配属されてしまいます。しかし、第一希望を(本当は第二希望の)部署Bだと偽ると、社員Yが部署Aの選抜を受けているうちに部署Bへの配属を確定させることができます。比較的人気がない部署を狙って第一希望と偽ったほうが、正直に希望を申告するより得になってしまうのです」
野田氏は、「一見もっともらしい人事配属のアルゴリズムでも、社員の希望情報を正直に申告させることに失敗しているケースがかなりあります」と語る。厳密にアルゴリズムを決めて人事配属を行う場合でも、アルゴリズムの設計が適切でない場合には同種の問題が発生するという。
「『なるべく多くの社員を希望部署に』『なるべく第一希望を尊重』という方針が見透かされると、社員にうそをつくインセンティブが生まれてしまいます。これは社員が悪いのではなく、ルールが悪いということ。人事業務に携わる皆さまなら、一度は悩んだ経験があるのではないでしょうか」
このような問題に関して、マーケットデザインではどのような解決策があるのか。野田氏は「『DAアルゴリズム(受入保留アルゴリズム)』が望ましい性質を持つことが知られています」と語る。DAアルゴリズムは、発見者の名前を取り、Gale-Shapley アルゴリズムとも呼ばれている。
DAアルゴリズムを用いた配属では、はじめに社員が第一希望の部署に応募し、部署側は応募した中で最も良い社員の配属を「仮確定」する。仮確定がもらえなかった社員は、まだ応募していない中で最も希望する部署に応募。部署側は応募した中で最も良い社員の配属を仮確定する。これを繰り返していく。
「この方式では、部署側が配属途中の段階でマッチングを最終確定させずに、その段階でもっともよいと思う人をキープします。この『仮確定』というところが、ボストン方式との大きな違いです。仮確定ですから、あとで取り消しになる可能性もあります」
先ほどの例でいえば、社員Zがうそをついて部署Bを第一希望と申告した場合でも、いったんは仮確定の状態になる。そこに部署Aの仮確定に漏れた社員Yが第二希望として部署Bに応募してくる。部署Bは社員Zよりも社員Yを希望しているため、社員Zの仮確定を取り消し、社員Yの配属を確定する。社員Zは正直に希望を言った場合と同じ、部署Cに配属されることになり、うそをついても得していない。
「DA アルゴリズムを使った場合、社員はうその希望を伝えても絶対に得をすることがありません。社員はどの部署が穴場かを考慮する必要が一切ないために、部署の人気度に対する正確な情報が得られます。それ以外にもさまざまな望ましい特性があることが知られています。特に重要なのは、DAアルゴリズムで実現するマッチングは安定性という性質を満たすことです。これは、ある社員Xが部署Aを希望していたのに配属されなかった場合、部署Aは必ず社員Xより強く希望する社員を受け入れているという性質です。社員と部署の希望を聞き入れ、双方の希望を尊重した配属を作ってくれるのです」
マーケットデザインの企業内人事への実装例:シスメックス社
野田氏は続けて、マーケットデザインの人事領域の実装例として、シスメックス株式会社とUTMDの共同研究を紹介した。
「シスメックス社の要望は、『より専門性を重視する若年層のエンゲージメントを向上させるべく、社員が自分のキャリアを自分で選べるような仕組みが実現できないか』『ただし、部署ごとの配属の人数だけではなく、その上の単位である部門グループの配属人数のレベルでも人数のバランスを取りたい』というものでした。そこで、DAアルゴリズムを基に、全社的なバランスができるよう改良した『FDAアルゴリズム』を21年卒新入社員の配属に活用しました」
シスメックス社ではまず、21年卒新入社員と部署が相互理解を深めるためにPRを行う機会を設けた。新入社員は部署に対して自己PRを行い、部署は新入社員に対して業務説明を行う。こうして双方に行きたい部署や受け入れたい社員を考える材料を提供した上で、希望を申告してもらい、人事部門がFDAアルゴリズムに従って、配属を決定した。
この試みは新入社員、部署、人事部門の三方によい効果をもたらしているという。新入社員への効果では、新入社員の約75%が「キャリアを考えるきっかけになった」と回答。入社後8ヵ月時点のアンケート調査で、「別の部署に異動したい」と答えた割合が例年より低下した。
部署にもたらした効果では、部署の約75%が「配属希望人材を選ぶ際に、育成計画や受入体制などを検討した」と回答。「社員がどのような強みを持っているか、また個人の興味、思考、そのアピールの仕方などこれまで配属後にしかわからなかった情報を得て選考できた」「個々の人柄、経験、強みなどが事前に把握でき、人選に役立ったことは当然として、採用のレベル感が分かり、安心した」といった声が聞かれた。
人事部門にもたらした効果では、新入社員と部門の希望を合わせて決定するため、納得度と意欲が高まるとともに、部門も育成の意識が高まった。また、希望順位の情報のみ収集し、コンピューターで即座に配属が決定できたため、調整するプロセスが省け、配属にかかる工数が大幅に削減できた。
「社員と部署の希望をかなえることは人事の重要な目標といえます。正しい希望情報を得て、適切なマッチングアルゴリズムを使った調整を行うことで、社員と部署、人事の三方よしの結果を得ることができる。ぜひ皆さんの会社でも、配属にマーケットデザインを活用してください」
ミニレクチャー:異動・人材配置をめぐる議論
大湾秀雄氏(早稲田大学政治経済学術院 教授)
大湾氏は始めに、異動・人材配置に関わる興味深いデータとして、仕事の面白さの国際比較を紹介した。OECD主要10ヵ国の成人に「あなたの仕事は面白いですか?」と聞いたものだ。
「日本では『面白い』と考える人が54.0%にとどまり、半数近い人が『面白くない』と考えていることがわかります。他の9ヵ国で『面白くない』と答えた人は8.9%~35.4%で、日本が大きく上回っていることがわかります」
では何によって仕事の面白さが決まるのか。同じ調査でその要因も研究している。日本は「興味・関心のマッチ」が3割程度でトップ。次に「人間関係」「社会的意義」と続く。
「こうした問題は、人材の異動配置をより希望に合わせることである程度、解決できるのではないかと思います」
大湾氏は次に、異動配置のロジックを三つに分けて解説した。一つ目は生産性最大化。職務情報と職能情報を最も効率よく集約するには、人事情報システム(集権化)、市場メカニズム(分権化)のどちらがいいのかを考えなければならない。
二つ目はインセンティブ。頑張ったことで希望をかなえ、より責任のあるポジションに昇格させる。インセンティブを最適化するには、トーナメント設計(集権化)、市場メカニズム(分権化)のどちらがいいのかを考えなければならない。三つ目は人材育成。人的資本投資を最適化するには、計画的配置(集権化)、個人の自己研さん(分権化)のどちらがいいのかを考えなければならない。
では異動配置をどのようにコントロールすればよいのか。大湾氏はスタンフォード大学名誉教授だった青木昌彦氏の「双対原理」を紹介した。
双対原理に従えば、「日本はオペレーションが分権的な会社が多いため、人事機能は集権化したほうが効率的。米国はオペレーションが集権的な会社が多いため、人事機能は分権化したほうが効率的」ということになる。
「ただし、現在の日本ではこうした前提が変わってきているのではないかと考えています。ICTによってオペレーションは標準化され、今後は欧米型の集権的なオペレーションに近づけたほうがよいのではないか。近年、ジョブ型雇用の議論で出てきている動きは、職を標準化し、自律的なキャリア形成を志向しようというものです。この志向に対して補完性がある人事機能は、より分権的な人材配置を目指すことにあります」
分権的な人材配置を行う際のアプローチは三つある。一つ目はキャリアシートを基に、上司が部下との面談を経て、望ましい配置を人事部に伝えること。二つ目は社内公募制、フリーエージェント制度を導入すること。三つ目はマッチングアルゴリズムを活用することだ。
「参考になるのはソニーのケースです。ソニーは四つのチャネルを提供して、人事異動を行っています。一つ目が社内公募制度で、部署が公募しています。二つ目がフリーエージェント制度で、サイトに登録し双方向でアプローチができます。三つ目はキャリアプラスで、兼業の紹介を行います。四つ目がキャリアリンクで、自身のキャリアをデータベースに登録し、社内からオファーを待つことができます」
大湾氏は「最近ではAIを活用した人事配置を期待する声が聞かれるが、そこにはいくつかの問題がある」と語る。多くの人が持つAI配置に対するイメージは、職務情報とタレント情報を入力すると、AIが最適配置を考えて提案してくれるものだ。しかし、AIによる実際の機械学習では、以下の二つのアプローチが行われている。
一つ目は過去の異動配置記録を教師サンプルにして、似たような配置をAIに提案させるものだ。
「工数は減りますが、過去の繰り返しなので、非効率があれば、それを再生産することになってしまいます」
二つ目はハイパフォーマー社員における過去の配置を教師サンプルにして、似た配置を提案させるものだ。
「優秀層だけの配置であり、全体の最適配置は予測できない弱点があります。過去になかった配置は提案されないため、これまで女性の幹部がいなかった会社では性差別が継続されてしまう懸念があります」
こうしたAIによる人材配置に対して、マッチングアルゴリズムは現場の採用側・社員側の希望を集約する仕組みであり、これまでの配置手法よりも改善が見込まれる可能性がある。ただし、マッチングアルゴリズムの活用は、希望を出す参加者が十分な情報を持っていることが前提だと大湾氏は語る。
「大企業では、社員がすべての部署に関する情報を得ることは非常に難しい。そのため、部署側は仕事情報を集約して開示する必要があり、社員側はタレントマネジメントシステムに仕事経験などを詳細に記載する必要があります。このようにシステム面でのサポートがあってはじめて、マッチングアルゴリズムはうまくいくのではないでしょうか」
第2部:グループディスカッション
第2部では参加した研究会に参加した人事が四つのグループに分かれ、二つのテーマに沿ってディスカッションを行った。ディスカッション後は各チームの代表者が全体共有を行った。
一つ目のテーマは「異動配置(新人の配属を含む)に関する課題」について。各社が持つ課題共有とあわせて、従業員は自分の配置に納得感を持っているか、改善策を検討する際にどんな取り組みを行っているかについてディスカッションした。
全体共有の場では、さまざまな課題が聞かれた。事前準備面では、配属希望の把握の難しさや、希望先の偏り、人材データの整備などの課題があげられた。異動の実践面では、異動対象となる社員数が多い、期の途中での対応が難しい、フィードバックが難しい、といった声が聞かれた。課題の改善策としては「期中で見直しのOKRを実施」「四半期単位の1on1で希望を聞く」「地域限定の異動体系」「テレワーク職種の活用」「職務定義書の整備」など各社が工夫しており、今後の改善が期待される。
二つ目のテーマは「人材配置マッチング策の有効性」について。人材ニーズと社員の希望をマッチングさせる仕組みを展開した場合、異動配置に関する課題に対して有効に働くのか。実施の障害となる課題や懸念が考えられる場合、乗り越えるためにはどんな改善策が考えられるのかについて議論した。
ディスカッション後の声を聞くと、多くの企業で人材公募が行われているが、異動のマッチング精度はまだ不完全なようだった。マッチングをより有効なものにするポイントとしては「仕事や職種、部署についての情報の明確化・可視化」「異動後の後任の確保」などがあげられた。
具体策としては「既存社員向けにジョブフォーラム(仕事紹介)を開催」「仕事の2割で副業ができる制度」「自らの情報を社内システムに書き込み」などの施策が聞かれた。
最後に野田氏、大湾氏が講評を述べて、研究会は終了した。
野田:皆さんの情報や意見を聞くなかで、社内公募に関するお話は面白いと感じました。あくまでも理論上の話ですが、実は、DAアルゴリズムが作り出す「安定マッチング」が実現していれば、社員と部署の希望は「すでに尊重されている」ので、社内公募を実施しても異動は起きません。
一つ気になったのは、社内公募として現れる部分的な異動の希望を改善するために、一部で人や部署の調整を行ったことでゆがみが出たという話です。ある社員・部署の希望を尊重するために別の社員・部署に不満が出るのを回避するためには、一部だけではなく、より大きな単位で調整することが必要となります。社内公募での異動希望者がある程度の人数になったところで、アルゴリズムを用いて一斉に異動させてゆがみを軽減するという手法は有効かもしれません。
大湾:本日のグループディスカッションをお聞きして、マッチングアルゴリズムを導入する上で、四つの課題があると思いました。一つ目は、手を挙げて出ていった人の後任をどうするかという問題と、人気のない部署への人集めの問題です。この対策は同時に行う必要があるので、タイミングをそろえてマッチングアルゴリズムによって一斉に動かすことで解決すべきです。
二つ目は、マッチングアルゴリズムの実施頻度です。年1~2回程度の実施では現状の変化に対応できず、頻繁に行うと人やポストがそろわず質の高いマッチングができません。バランスのよい回数について検討が必要でしょう。
三つ目は、優秀な人材を育てた部署への配慮です。せっかく育てた優秀な人材が他部署に異動してしまうことを嫌がる声もあるため、何らかのアドバンテージを与えることが必要になります。例えば、中途や新卒の初期配属で優先して希望を聞いて配置するなどが考えられます。
四つ目は、より詳細なスキルの見える化です。「スキルの見極めが難しい」という声がありました。スキルの見える化は重要であり、外部ツールを使うなど積極的に投資する必要があります。本日の研究会での議論が参考になれば幸いです。どうもありがとうございました。